2007.12.2 Ozenji 王禅寺

王禅寺は川崎市麻生区にありますが、横浜市青葉区との境ですので、自転車で20分もあれば行けます。最後の登りはかなり急ですが。

Hugo Meyer No 291549. (Kino) Plasmat 1:2. F-9cm






F=2.0, Right: Pixel crop

F=2.0
全部開放ですが、大丈夫ですね。ちょっとにじみますが、芯があり、物の形は良く分かります。 キノ・プラズマート特有のぐるぐるがありますが、これは見かけ上の被写界深度を稼ぐために、 わざと収差を導入したのではないかとの疑われます。プラズマートとは被写界深度が深いという意味らしいのです。 キノ・プラズマートが開発された1922年には、Opic F2などので優れたダブルガウスのレンズが既に存在しましたので、そういう疑いたくなります。

ここまで書いて、キングズレークの”写真レンズの歴史”に書いてある文章の意味がようやく分かりました。
この本では、パウル・ルドルフが1920年か1921年ごろフーゴ・マイヤー社に再就職し、 F4.5のダブル・プラズマートまたはザッツ・プラズマートを最初に設計したと書いてあります。

”プラズマットという名前をつけたのは、そのレンズが普通のものより被写界深度が深いからだといわれているが、それは納得しがたい。 なぜならば被写界深度の増加は、法外な球面収差と色収差の導入によってのみ得られるからである。同じような構成がツァイスにもあり、 (中略、かなり長い文章を省略) 1922年頃、ルドルフはF2とF1.5のキノ・プラズマットを設計した。”  (写真レンズの歴史、ルドルフ・キングズレーク著、雄倉保行訳、朝日ソノラマ刊より引用)

普通に読むと、F4.5のダブル・プラズマートやザッツ・プラズマートはシャープなレンズなので、法外な収差を導入しておらず、 被写界深度が深いとは言えないので、プラズマートという名前はおかしい、と読めます。 しかし、これはちょっとおかしな文章です。私の想像では次のようになります。

パウル・ルドルフが1921年頃にフーゴ・マイヤーに入社して、さっそく映画用の明るいレンズを開発。 自分が若い頃に開発したプラナーを改造したかったが、しばらく休んでいるうちに、テーラー・ホブソンのリーとかいう若造が 既に改造して特許をとってしまっている。くやしいので、変わった構造を採用。F1.5やF2.0では収差が大きく、 ぐるぐるになってしまったが、被写界深度が深まったともいえるので、強気にプラズマートと命名。絞ればシャープなので大丈夫。 一方、F4.5のオイリプランの売れ行きが良くないと営業が言っているので、これもついでにルドルフ設計のプラズマートと改名。 ちょっと売り上げが伸びた。(あくまでも、私の想像です)